小谷城

別名- 滋賀県長浜市小谷郡上町 小谷山
碑・案内板アリ 日本城郭大系


浅井氏 戦国時代「近江を制するものは天下を制す」といわれたほど、近江は天下を左右する重要な位置にあり、数多くの戦乱の場となりました。このため多くの城郭が築城され「近江の城郭を語らずして中世は語れず」と言われるほど、近江には中世の城館が数多くみられます。その中でも小谷城は、亮政・久政・長政の三代にわたって、小谷城全域に築かれたわが国でも屈指の規模をもつ中世城郭で、日本五大山城の一つに数えられています。小谷城は織田信長の激しい城攻めにより落城しましたが、その後、城跡はなんら手を加えられることもなく長く埋もれたまま、当時の面影を今に残し、私たちに伝えています。浅井家は三代にして50年あまりで滅んでしまいましたが、長政とお市の方(織田信長の妹)との間に生まれた三人の姫は成人して、長女の茶々は豊臣秀吉の側室−淀殿−として、次女の初子は大津城主 京極高次に嫁ぎ、三女の達子は徳川二代将軍秀忠の夫人となって、家光(三代将軍)・忠長・千姫・東福門院(後水尾天皇中宮)等を生み何れも日本の歴史の一こまをかざるとともに後世に名を遺しました。

  城跡碑  本丸  外観

        赤尾美作守屋敷家臣供養塔
                                               徳勝寺にある浅井氏3代の墓

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